★2024年9月1日★
小学生からの「マーケティング教育」
おかげさまで、マヴィのおうちは5周年を迎えました。ありがとうございます!
今までも、これからも、マヴィのおうちはモンテッソーリ教育が軸なのですが、小学生からはマーケティング教育も取り入れていることが特長です。
この5年間を振り返り、あまり触れて来なかったことに気づいたので、今回はマーケティング教育についてお話します。
「マーケティング」と聞いて、どんなことをイメージされるでしょうか?
「お金儲け」
「無駄に横文字を使う世界」
「派手な宣伝活動」
これは、私が実務を担当する前にイメージしていた偏見です。
そして今でも、多くの人に似たようなイメージを持たれているような気がします。
確かにそういった側面もあるのですが…
「マーケティング」とは、
モノやコトが売れる仕組みを作るための活動の総称です。
買い手が「価値」を感じるからこそ売れるので、
・誰かが喜ぶ「価値」を創造すること(開発)
・「価値」の種を探すこと(調査)
・「価値」を知ってもらうこと(宣伝)
・「価値」を届ける環境を整備すること(戦略)
といった営みは、全て「マーケティング」に含まれます。
誰かに「価値」を感じてもらうには、
自分以外の人の気持ちを想像する必要があります。
新しい「価値」を想像するには、
現状を批判的に捉え、本質を見失わない力も必要です。
「マーケティング教育」は、
ただお金を稼ぐための手段を教えることではありません。
幼児期に「自分」を作る個人活動をやり切ると、
児童期に入って友だちとの関わりが強まり、
他者との関係性が意識できるようになります。
活動範囲に比例して目の前の世界が広がるので、
興味や関心も果てしなく広がっていきます。
ママヴィでは、
まさにこのときが「マーケティング教育」を始める時期だと考えています。
小学生から「マーケティング教育」を行うことで、
社会で生きる基本となるマーケティング思考の4C(批判的思考・創造的思考・思いやり思考・協働的思考)を育めると考えています。
マーケティング思考が身についていると、
将来どのような職業に就いた時にも活かすことができます。
私は、
「子どもとマーケティングをやってみたい」と思ったときに、
子どもを知るためにモンテッソーリ教育を学びました。
学べば学ぶほど、
私が考えていた「マーケティング教育」と本質は同じだと感じ、
ズブズブとモンテ沼にはまって今に至ります。
マリア・モンテッソーリのご子息であるマリオ・モンテッソーリの講演録に、とても共感できるトピックがありました。
今、私たちがこの会場に座っていられるのも、誰かが私の服を作ってくれたからであり、その服を縫う糸を紡いでくれた人がいたからです。もしそれがウールの布地だったとしたら、誰か羊の世話をした人々がいたからです。
私たちが今夜、こうしてこの建物という設備が使えるのも、これまで何百万人の人々が、これを可能にするために働いてくれたからです。今まで世界のいろいろな場所で、どれだけ同じことが行われてきたことでしょう。
昼食で食べたパンについて考えてみましょう。
誰が小麦を挽いたのでしょう。
誰がそのパンを焼いたのでしょう。
すべての人が、他の誰かに依存しているというのが社会の実相です。私たち教育者はさまざまな奉仕の中から一つの職業を選んだにすぎないのです。
もし裕福になる人がいるとしたら、それは幅広い需要に応えているからです。他の人より安価に、またより優れた商品を作り、それをお店に卸し、人々が入手しやすくしたからです。その結果、人々の生活はより良く、そして楽になります。
国際モンテッソーリ協会(AMI)公認シリーズ01 人間の傾向性とモンテッソーリ教育/マリオ・M・モンテッソーリ著/AMI友の会NIPPON訳・監修/風鳴社
このエピソードを知ったときに
初めて開発を担当したアイスの商品が店頭に並んだ姿を見て、
その商品の後ろに
たくさんの人の顔が浮かんできたことを思い出しました。
我が子のような思い入れある商品だからこそ、
店頭に並ぶまでに関わってくださったすべての人に感謝が生まれました。
児童期の子どもたちへの教育で大切な根底となる部分は、「理解と感謝」だといいます。
私がマーケティング教育で最も伝えたい部分です。
モンテッソーリ教育の小学校課程では、
「グレートストーリ」と呼ばれるものがたりを通して、
子どもたちに大きな枠組みを示すことから始まります。
モンテッソーリの小学校課程(https://ma-mavie.com/column202203/)
ビッグバンから始まった138億年の壮大な歴史ものがたりの中で、
マーケティングが誕生したのはつい200年ほど前のこと。
すべては繋がっています。