「盗む学び」という言葉を聞くと、
少し乱暴に感じる人もいるかもしれません。
教えないこと。
放っておくこと。
見ているだけで、何もしないこと。
そんなふうに受け取られることも、あるかもしれません。
でも、私が大切にしたいのは
「盗む」という行為そのものではなく、
盗めてしまう環境のほうです。
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子どもたちを見ていると、
不思議な場面に何度も出会います。
誰かがやっているのを、じっと見ている。
声も出さず、手も出さず、ただ見ている。
その場では、何も起きない。
大人から見ると、
「やらない」
「興味がない」
「タイミングを逃している」
そんなふうに見えてしまいやすい時間です。
でも、しばらくしてから。
別の場所で、別の場面で、
ふとした瞬間に、同じようなことをやっている。
教えていない。
説明もしていない。
手取り足取り、導いてもいない。
それでも、起きている。
このとき、起きているのは
「学びが始まった瞬間」ではありません。
もう少し前から、始まっているのです。
見ている時間。
動かない時間。
何も起きていないように見える時間。
そこに、学びはちゃんと流れています。
ところが大人は、つい急いでしまいます。
今やらせたい。
今わかってほしい。
今できるようになってほしい。
見ているだけの時間を、
「止まっている時間」だと思ってしまう。
でも、見ている時間は、
学びが止まっている時間ではありません。
学びが、外に出ていないだけです。
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「見て盗む学び」が成立するかどうかは、
子どもの能力の問題ではありません。
環境の問題です。
成果を急がれないこと
途中で評価されないこと
正解を見せつけられないこと
大人が先に答えを持たないこと
安心して、
「ただ見ていていい」空気があるかどうか。
その空気があるとき、
子どもは、自ら学ぼうとしはじめるのではないでしょうか。
盗もうとするのではなく、
盗めてしまう。
だから私は、
どう教えるかを詰めるよりも、
どんな環境を用意するかに、
徹底的にこだわりたいと思っています。
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声をかけない勇気。
待つ覚悟。
何も起きていない時間を、
「失敗」や「停滞」にしない姿勢。
それは、簡単なことではありません。
でも、立ち止まることで、問いが育つように。
見ている時間を信じることで、
学びは、ちゃんと育っていきます。
今は、
盗ませようとするよりも、
盗めてしまう環境を。
その一点に、
私はこだわり続けたいと思っています





