24年1月のモンテコラム 「おしごと」から「仕事」へ

「おしごと」から「仕事」へ

★2024年1月1日★

2024年が始まりましたね。
今年は干支でいうと甲辰。活力旺盛に大きく成長し、形が整う年だと言われているそうです。
子どもたちが「おしごと」の積み重ねで成長していく姿と重なりました。
今回はその「おしごと」と、大人がやっている「仕事」の違いや繋がりについてモンテッソーリの著書「幼児の秘密」を引用しながらお話させていただきます。

モンテッソーリは、著書「幼児の秘密」の中でこのように述べています。

子どもによって明らかにされた事実のなかには、本質的なものが含まれています。作業つまり仕事によって本来の正常な状態に戻る現象です。ー中略ー

確かなことは、子どもにとっては、仕事をするという性向が、生命に必要な本能を意味することです。仕事をしなければ、自分の人格を秩序立てることができないからです。たとえその人格が、自分固有の正常な範囲を逸脱して築かれたとしてもです。「人間は仕事をすることによって自分を築きます」。仕事の不足に代わるものは何もありません。裕福さも愛情も仕事の代わりにはなりません。逆にいえば、さまざまな「逸脱」は、罰や手本によっては克服できません。
人間は仕事をすること、実際に手を使う仕事をすることによって自分を築きます。そのとき手は、人格の道具、それぞれの人間の知性と意志の器官となり、環境に正面から向き合う、独自の存在としての人間を築きます。子どもたちの本能は、仕事をすることが人間の性質に固有の傾向であり、ヒトという種に特有の本能であることを明らかにしてくれます。

幼児の秘密/マリア・モンテッソーリ著/中村勇訳/公益財団法人才能開発教育研究財団/p216-217

ヒトという種である私たち人間は、器用に動かすことができる手を持っています。
エレメンタリーの子どもたちとは、毎年人間とチンパンジーの手の形を比較しています。
指の長さ、手のひらの大きさがだいぶ違うことに気づき、人間の手が器用に動く理由を考えました。
モンテッソーリがおっしゃっている「仕事をすることが人間の性質に固有の傾向である」ということは、手の形からも想像できます。

子どもたちが取り組む「おしごと」は
「手しごと」と言い換えてもよいかもしれません。

モンテッソーリは、
子どもの「手しごと」は、もはや本能だとおっしゃっているのです。

自然の中で暮らしていた旧石器時代の人々にとって、「手しごと」は生きるための「仕事」そのものでした。
そして、私たち人間は「仕事」をすることで文明を築き、より暮らしやすい世の中を求め続けてきました。

それなのに、なぜ
私たち大人の「仕事」には厳しさや疲労ばかりがついて回るのでしょうか?

モンテッソーリは
「仕事をすることについての社会の考え方が誤った基礎の上に立っている」
とおっしゃいました。いつからか仕事が「強制された労働」になってしまったようなのです。


「仕事」をする上での基本原則に、「分業の原則」と「最少努力の原則」があります。

それぞれが役割分担しながら、より少ないエネルギーで、より多く生産するということは
「社会」をよりよくするために必要不可欠です。

でも、限りある資源を活用するためには「生存競争」が生まれます。
さらに、個人の「欲」が社会の秩序を歪めてしまうこともあります。
そういった しがらみ から「強制された労働」は生まれたのかもしれません。


一方で、子どもの「おしごと」は「社会」とは切り離されて考えるべきです。
なぜなら、
子どもの「おしごと」の目的は「人間」をつくることだからです。

そもそも「最少努力の原則」は、子どもの「おしごと」には適用されません。
むしろ、真逆です。

子どもは練習によって成長します。人間を形成するための子どもの活動は、外界の環境と物理的に触れ合うほんとうの仕事によって成り立っています。子どもは経験することによって、みずからを訓練し、行動します。そうすることによって、自分の運動を調整し、外界からやってくる刺激を記録に残していきます。それが、子どもの知性を形成します。そのようにして子どもは、さまざまな能力を獲得していきます。

幼児の秘密/マリア・モンテッソーリ著/中村勇訳/公益財団法人才能開発教育研究財団/p225-226

だから、
大人からすると一見「無駄」とも思えることに夢中になり、
繰り返すことが子どもにとってとても重要であるということを、
私たち大人は意識しておく必要があります。

「IT技術の発達により、10〜20年後には今ある職業の半数はAIに代替されてしまう。」
そんな試算が発表されて10年近くになりますね。

私は「強制された労働」が、AIに代替されていくのではないかと思うのです。

100年ほど前に生きたモンテッソーリは、こんなこともおっしゃっていました。

例外的な事情のもとでは、仕事は内面的な本能の衝動と結びつきます。そうなれば仕事は、大人に対してさえまったく異なった性質を持つようになり、それをせずにはいられない魅力的なものになって、多くの人間に逸脱や混乱を乗り越えさせます。そのような仕事とはたとえば、何かを発明する人、大地の探検のために英雄的な努力ぶりを発揮する人、芸術作品の制作に従事する人などの仕事のことです。
幼児の秘密/マリア・モンテッソーリ著/中村勇訳/公益財団法人才能開発教育研究財団/p217

それをせずにはいられない魅力的な「仕事」に出会うことこそが、
未来を担う子どもたちにとって必要不可欠だと思います。


幼児期は「人間」を作るために「おしごと」に夢中になっています。

児童期以降には、小さな社会で様々な興味・関心に導かれて「おしごと」に夢中になります。
友だちと力を合わせることもあれば、1人で集中して取り組むこともあります。

いずれにしても、一方的に強制されるものではなく、
自ら選択して取り組み、夢中になっているのです。

子ども時代に夢中になることを知っていることは、
大人になってから
それをせずにはいられない魅力的な「仕事」に出会う第一歩ではないかと思います。


未来を担う子どもたちには、
それをせずにはいられない魅力的な「仕事」に出会ってほしいと心から願っています。

そのためにも、保護者の皆さまには
幼児期・児童期の学び方を知っていただきたい、
その前提で考えを深めていただきたいと思っています。