Vol. 12 余計な一言を繰り返す私。こどもの価値観って誰のもの?

<<毎月書かせていただいているながらモンテ。6月7月は番外編で、7歳の長男との日々について少し綴ってみます。>>

先日、珍しく長男が帰宅してくる時間帯に仕事がひと段落し、暑さも少し落ち着いている様子だったので学校まで歩いて迎えに行くことにした。

迎えに来た私を見て、長男はとてもうれしそうにニコニコし、そこから二人でいつもの帰路を横並びで歩いて帰ってきた。ただ、彼はとても自由なところのある人で、景色を見ながらそこに吸い寄せられたり、足元にいる蟻に興味を惹かれたらその場でずっと蟻を観察したりすることができるようなタイプの人だ。ただ、そんな彼に比べ私はかなりせっかちなタイプなので、景色を楽しむ時間が長く感じられてしまったり、蟻の観察なんか、、、業務命令だと言われてもなかなか難しいと感じるかもしれない。

だからかはわからないけれど、夢中になっている彼につい余計な一言を彼にかけてしまうことが非常に多いと認識している。

この日もあらゆるところで立ち止まる彼に対し、「暑いしそろそろ帰らない?」とか、「そんなにずっと立ち止まっていたら日が暮れちゃうよ」という感じの余計な一言を繰り返し投げかけていた。私自身も余計な一言を言ってしまったあとには、いつも「まずいまずい」と思うものの、でも少し経つとすぐにまた何か余計なことを言っていることの繰り返し。

この日もそんなことを繰り返しながら、もうすぐ家に着く、というタイミングになった時、幼稚園の時に長男が仲良くしていたAくんとすれ違った。Aくんはすぐに長男に気づき、私にも気づき、ニコニコニコニコ。けれども長男はそんなAくんを横目で見ながら、何も言わず、すっと通り過ぎた。

私はそこでまた、「なんであいさつしなかったの?」と聞いてしまった。余計な一言。しかしその余計な一言に対して長男は、「うーん」と考えたのち、「挨拶する必要あったかな?」と聞いてくれた。私も答えを少し考えてから「もしママだったら挨拶してほしいと思ったかもしれないなと思って」と返すと、彼は「ああ、でもそれはママの考えだよね。AはAで、ママじゃないから。」とまっすぐに私の顔を見て答えた。

ああ、そうだ。私は「しまった!」と思い、長男に謝罪した。
知らず知らずのうちに、私たち親はこどもに自分の価値観や考えをすり込もうとしていることがある。そしてふとしたときのこどもに対する「余計な一言」にその価値観や刷り込みが入っていることが多いのかもしれない。
「いつまでもテレビ見てないの」
「のろのろしてないで早くご飯食べちゃいなさい」
「姿勢よくまっすぐ歩きなさい」
「大きな声でしゃべらない!」
その余計な一言には、私たちの「こうであったらいい」が詰まっているけど、その「こうであったらいい」は正解とは限らない。
今回のケースも挨拶をされると嬉しいと思うのは私の考え方や感じ方であって、もしかしたらそう感じない人も実は多いのかもしれない。したいと思ったらすればいいものなのかもしれない。そして、もし今回A本人に挨拶をしてほしいと言われたなら、なぜしてほしかったのか本人に問うことができるし、そこから対話が生まれるかもしれない。

親にとっては本当に些細な一言が、こどもの価値観を変えてしまえるパワーを持っているかもしれない、と気づいたお話し。

プロフィール

鳥羽瀬(とばせ) 有里

上智大学心理学科卒業後、外資系コンサルティング企業にて主に金融関係のプロジェクトに従事。その後欧州系コンサルティング企業の立ち上げに参画。人事関連の責任者として、社員ひとりひとりのキャリアを見据えた新たな評価、育成制度を構築。
現在はポートフォリオワーカーとしてあらゆる職種業種の仕事に携わりながら2児の男子を子育て中。

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