我が子との程よい距離感。
それって一体どのくらいの距離なのだろうか。
長男が生まれ、早いものでもうすぐ7年間が経過するわけだけれど、ちょうどよい距離感はいまだかつてわかったことがない。
母親はド近眼なのだ、とはよく言われるけれど、私はド近眼中の近眼で、距離を保って我が子たちを見ることができたためしがない。
長男については、もうあまりにもド近眼なこの視力をどうにかしたかったのもあり、本当に幼少期の頃から保育園にお世話になることにした(もちろん仕事復帰が前提にあったわけだが、可愛いからあと1年近くで見ていたい、という判断はできなかった。近眼がつらかったからだ)。
彼のことをものすごく近くからじっと見る時間を取ること、全く見えなくする時間を取るという二つのものすごく大きな振れ幅をもってバランスを取ろうとしていたのだと思う。
そして次男だ。
彼が生まれ、ふと気が付いたらもうすでに生まれてから12か月という時が経過していた。
次男はおそらく俗にいう比較的「楽なタイプ」で、良く寝て、良く笑い、泣く頻度が少ない(1歳0か月時点)。そして泣いてもすぐに回復する。そして働く母に大切なこちら、「風邪をひかない」。
長男は真逆で、すでにたまに次男に泣かされたりしているから、次男は力強く成長していくのであろうなぁと思いながら日々の彼の様子を見ている。
しかし、だからであろうか。彼の成長はものすごくはやいのだ。
第2子以降あるあるなのだろうと思っているけれど、気づいたら寝返っていて、ハイハイしていて、そしてすたすたと歩きはじめている。
もうあっという間に走りだしそうなそぶりを見せる彼は、やはり成長が早い(ように感じている)。そんな日々である。
だからこそ、長男の時とは少しちがった彼との「距離」を日々模索中でもある。
ものすごく近くで彼と密に接する頻度は少ないかもしれないけれど(長男もいて、うちは男子3人(夫含め)がそれぞれものすごくパワフルで、日々がカオティックなのだ)、その代わり、もっとより次男のことをコンスタントに見守ろうと心に誓ったのだ。それがまさにタイトルにもある「観察」。
私は本当にモンテッソーリ初心者で、本当に少ない知識しか持っていない。
でもほんの少しばかり書籍を読んだり、まりこ先生と話をしたりする中で、私が現時点で持つ、モンテッソーリの中の大切なメッセージ、そして私の心に響いたメッセージは「こどもの観察をすること」。
色んな準備はできないし、数々のセッティングしてあげたり、おもちゃを用意したり、、、
そういうことは私には難しいかもしれないけれど、こどものただただ近くにいて、よくよく彼を「観察する」こと。
もしかしたらそれなら私にもできるのではないかな、と考えたわけだ。
母親というのは大体日々に追われている生きもので、時間がない生きもので、喉から手が出るほど自分の時間がほしい生きものであると思う。
私はその中でもかなり自分勝手で、すぐに自分の時間を優先してしまうような母親なのだけど、そんな私でもこどもたちのことはとても大切に思っている。そして彼らの成長を、できるだけ多く見守っていたい、見逃したくないという強い思いは持ち合わせているのだ。
だから、これは実験である。
日々に追われ、時間に追われ続ける母が、こどもを観察し、おうちモンテに挑戦する。
ずぼらで忙しい母親が、どこまでできるのか。
一番の目的は彼らの「観察」だ。
じっくりと彼らを観察し、こどもたちの敏感期を知ることができるか。そしてそれを通じて日々の中でより「楽しい」や「わくわく」を引き出すことができるか。一緒に私自身も「楽しい」瞬間に出会えるのか。
そんなことにチャレンジしてみたいと思う。
上智大学心理学科卒業後、外資系コンサルティング企業にて主に金融関係のプロジェクトに従事。その後欧州系コンサルティング企業の立ち上げに参画。人事関連の責任者として、社員ひとりひとりのキャリアを見据えた新たな評価、育成制度を構築。プロフィール
鳥羽瀬(とばせ) 有里
現在はポートフォリオワーカーとしてあらゆる職種業種の仕事に携わりながら2児の男子を子育て中。