「はて、こんなだっただろうか。」
次男のだんだん(次男のあだ名、以降「だんだん))を目の前にしてつい繰り返ししてしまうのは、長男が同月齢期だったころの記憶を掘り起こし、こんな風だっただろうかと思い返し、比較すること。
ついついやってしまうのだが、ほぼ概ね意味のない行為だと認識しており、恐らく時間と精神力の無駄だと思う。なぜならば当然のことながら彼らは全くの別人物であり、前回も書いた通り長男と次男はかなり性格的にも本当に違っている。今だんだんが1歳1か月になり、正直長男との間に性格的なオーバーラップを一つも見つけられていない。本当に似ている点が何一つないのだ。
正直あまりにも自然に比較を行ってしまっているため、比較自体をやめることは難しいかもしれないので、決してその比較の中に評価は入れない、という約束事だけを自分の中に作り、結局日々比較してしまうことは受け入れることにする。比較する度自分を責めるのも疲れるからだ。
そんな長男とだんだんの比較の中で、最近特に彼らが違っている気がするなぁと思いながら観察しているのは、だんだんの「つまみ癖」だ。だんだんはつまむのが大好きだ。意地悪な姑のように部屋中を歩き回っては(もう少し小さい頃はハイハイしまわっては)、本当に小さいゴミや食べカスを見つけてきては拾いあげ、口に運ぶ。見つけては拾いあげ、口に運ぶ。この行為を延々と繰り返すのだ。拾い上げるものを見つけた時の彼の瞳は間違いなく輝いてみえる。私と楽しくキャッキャ遊んでいたと思っていたら、視界の端に拾えるものを見つけ、一目散で飛んでいく。拾う。そして必ず口に入れる。パクリ。
外に出かけてもそうだ。楽しく公園で遊んでいても、山にいても、海にいても、彼は拾えるものを視界の片隅でいつも探している。必ず拾う。そして口に入れる。極力目で追いかけ、外ではあまり口に入れないよう、つまんだ時点で「ください」とお願いし、もらうように(時に奪い取る)仕向けているのだが、気が付いたらすでに口の中でなめている、ということもしばしば(というかしょっちゅう)。
そんな「拾うの大好きだんだん」をじっくりと観察していると、どうやら最近彼が新しく楽しみ始めたものがあるということを発見。
それはどうやらつまんだものをどこかにつめる、という行為。最初に発見したのは、家の外で石を拾っている彼が、道路の穴に石を入れている動作をしているのを見つけた時。拾っては穴に詰め、また拾う。その表情はもう真剣そのもので、私の声なんて耳に入っていないようだ。
そんな様子をまりこ先生に伝えると、じゃあ今が始め時じゃない?と教えていただいたのが「ストロー落とし」。簡単なもので作れるよ、ということだったので拾うブーム、詰めるブームのだんだんのため、早速作ってみました。
しかし、用意したのはいいものの、正直これ本当にだんだんやるのかなぁ、と思っていたわけで・・・。きっとバッシャーンと全部をひっくりかえしてしまったりして、興味を持たないんじゃないかなぁと・・・ところが、びっくり。
目の前において試しに一度私がやって見せてみると、途端に真剣な表情に。静かにストローを拾っては落とし、拾っては落とし。もちろんたまに口に運びクチャクチャとストローをかじってみたりもするけれど、口にストローはくわえつつも、右手で新しいストローを拾い、穴に落とす。その作業をとても丁寧に繰り返すだんだん。
普段はあっちにきょろきょろ。こっちにきょろきょろ。何かを長い時間集中してやる様子をあまり見たことはなかったのだけど、ストロー落としを目の前にすると、自分がやる目の前の一つ一つのお仕事に、もう夢中。
その姿は本当に小さな彼だけの世界に入ってしまったような様子。
そしてその真剣な様子がたまらなくかわいくて、普段であれば静かにひとり遊びをしていてくれるときはこっそりと離れて何か私も自分の用事を済ませたくなってしまうのだが、このストロー落としをしている様子は、一時たりとも目を話したくなく、私自身も彼の横に座り、つい一生懸命になって彼の様子を観察し続けることに。
そして気づくのは、まさにこれこそが観察だな、ということ。観察はその子のことを見守ることで、その子のことを信じて見守ることができて初めて「観察」が成立するのだと実感。
ますます奥深いと知ることができた我が子の観察。どんどんやんちゃになっていくだんだんをどこまで信頼して見守れるのか。私は今、とても試されている。
上智大学心理学科卒業後、外資系コンサルティング企業にて主に金融関係のプロジェクトに従事。その後欧州系コンサルティング企業の立ち上げに参画。人事関連の責任者として、社員ひとりひとりのキャリアを見据えた新たな評価、育成制度を構築。プロフィール
鳥羽瀬(とばせ) 有里
現在はポートフォリオワーカーとしてあらゆる職種業種の仕事に携わりながら2児の男子を子育て中。